2013年1月10日木曜日

彩文灰色土器 Painted Grey Ware

英名Painted Grey Wareの訳名。PGWとも略称する。1940〜44年に実施されたアヒッチャトラ−遺跡の発掘調査で出土した、彩文が施された灰色土器に与えられた。

インド共和国ハリヤーナー州出土の彩文灰色土器

1950〜51年に行われたハスティナープラ遺跡の発掘調査で、赭色土器が出土する文化層と北方黒色磨研土器が出土する文化層の間から単独で彩文灰色土器が出土する層序が確認され、前1100〜前800年の年代が与えられた(Lal 1954)。この年代観がその後の彩文灰色土器研究の出発点となっているが、その後の調査によってこの土器は前1300年頃までさかのぼる可能性が指摘されるようになり(Joshi 1993)、また前300年頃まで存続する可能性も確認されるようになった(Härtel 1993)。

インド共和国ハリヤーナー州出土の彩文灰色土器

その初現年代については後期ハラッパー文化期(ポスト・インダス文明期とも呼ばれる)に属するバーラー式土器との共伴がバグワーンプラ遺跡などの調査で確認されたことが大きな手掛かりとなっている。また、その消滅時期についてはソーンク遺跡でNBPW後期の文化層の直下に彩文灰色土器出土層が位置することや、NBPW後期の土器に彩文灰色土器の器形が取り込まれていることなどが証拠となる。

その分布はガンジス平原西半部(現在のインド共和国パンジャーブ州、ハリヤーナー州、ウッタル・プラデーシュ州西部)を中心としており、その周辺部でもわずかに出土する。前1千年紀前葉(前1000〜前600年頃)においては東の黒縁赤色土器・黒色スリップ土器と、前1千年紀中葉(前600〜前300年頃)においては同じく東の北方黒色磨研土器と交流関係があったことが知られる。

前6〜前4世紀頃の彩文灰色土器の分布

ハスティナープラ遺跡の調査にあたったB.B. Lalは彩文灰色土器をアーリア人の土器と解釈したが、その出現過程も十分にわかっておらず、現状では「アーリア人の土器」という理解ではなく、アーリア人が北インドに移住した時期に併行する土器として捉えておく方が適切であろう。

【参考文献】
  • Hartel, H. 1993 Excavations at Sonkh: 2500 years of a town in Mathura District. Dietrich Reimer Verlag, Berlin.
  • Joshi, J.P. ed. 1993 Excavation at Bhagwanpura 1975-76 and Other Explorations & Excavations 1975-81 in Haryana, Jammu & Kashmir and Punjab. Memoirs of the Archaeological Survey of India no.89, Archaeological Survey of India, New Delhi.
  • Lal, B.B. 1954 Excavation at Hastinapura and Other Explorations in the Upper Ganga and Sutlej Basins 1950-52. Ancient India 10 & 11: 5-151.
  • 上杉彰紀 1997「北インドにおける精製土器 彩文灰色土器と黒縁赤色土器を中心に」『インド考古研究』第18号: 52-90.

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